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そうだ!投票へ行こう!

今度の週末は第48回衆議院総選挙ですね。

かつて住んでいた私の実家には、選挙シーズンともなると、毎回沢山の後援会ハガキが届いていました。

自民党、公明党、社会党、共産党・・・メジャーな政党の候補者は、ほとんど届いていて「一体誰を応援するんだ?」状態。

「こんなにいろんな人からアピールがきているなんて、いつも呑んだくれている親父だけど、実は偉い人なのかもしれない」とアホな私は思っていました。

後援会は付き合いで色々入らされていただけ。政党も何でもあり。社会人になってから、ようやく知るところとなりました。

そして、今や「後援会に入らせてもらうから住所借りるよ」と、その親父に電話して、さらにハガキを追加しようとしている私が…。

この時期、会社や地域など、繋がりがある人は、頼みごとが多くて面倒な時期でもあります。

色々面倒だけれども、選挙にはいきましょうというお話です。

棄権や白票は「白紙委任」

若い頃の私は、たいていの若者がそうであるように、選挙に全く無関心でした。

いわゆる「自分が1票を入れたってなんにも変わるわけがない」というわけですね。

若者の選挙離れが取りあげられるようになってからは、まとめて括られるのが嫌だったので「無関心な若者と一緒にするな」と、一応選挙には行くようになりました。

でも、「自分は政治に無関心なんかわけではない。ただ、自分が任せられる政治家がいないだけだ」と、投票所に行っても「白票」です。

その考え方を変えたのは、選挙の応援に行くなどし裏側をみるようになってから。

「政治家は、投票(または票を確保)してくれる相手に便宜を図る。そして、票で動く政治家を思い通り動かそうと、様々な組織が活動する」という選挙戦の実態。

そして、そんななかでの無投票や白票は、棄権の意思表示ではなく「どんな選挙結果になっても受け入れます」という「白紙委任」に過ぎないということが分かってきたからです。

そして、この白紙委任する相手は、かならずしも自分たちのことを考えてくれる者ではないとところも…。

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票を効率よく集めるにはどこに資源を投入すべきか

今回の選挙、「誰か紹介してくれよ」と、上司に頼まれ、一つの家庭でなんと8人の有権者がいる、大家族の親類の個人情報をカードに記入して渡しました。

ご当人には「8人もいる大家族、まちがいなくターゲット。きっと馬鹿丁寧な電話がかかってくるから、適当にあしらっといてね。」と伝えました。

2、3日たってみるとどうでしょう。電話はもちろんのこと、あろうことか候補者の演説が自宅前で行われたそうです。

「家の前で話すくらいだったら、直接きてくれればいいのにね」という笑い話。しかし、実際に候補者が個別訪問するのは公職選挙法違反。行きたい気持ちを抑えて、家の前でアピールしたんですね。

やはり一度に8票獲得できるのは大きいと思ったのでしょうか、票が第一なんとも現金なものです。

まぁ、選挙事務所なんて票集めのために、訪問営業ばりの顧客(有権者)管理をやっているところもあるようですしね。


さて、前回の衆議院選挙、50%そこそこの投票率でしたが、世代によって投票率に大きな違いがあります。

総務省|国政選挙の年代別投票率の推移について

一番投票率が高いのは60代で68.3%。これに対して一番投票率が低い世代は20代で過去最低の32.6%なんと2倍以上の開きがあります。

また、有権者数については、人口の話でどうにもなりませんが、60代は有権者の18%程度に対して、20代は12%。有権者数で1.5倍ほどの開きがあります。

候補者がどちらの世代にアピールするかは一目瞭然です。数も少ないのに加えて3人に1人も投票してくれない20代より、断然60代の方を向くでしょう。

若者向けの施策と年配者向けの施策のどちらをとるか選択をせまられたら、年配者向けの施策の方が票集めに効果的なわけですね。

何なら、若者向けの予算をカットして年配者に振り分ければ、もっと効率的かもしれません。

多数決が基本の民主主義では、マイノリティの権利は声高に主張しなければ、損なわれてしまいます。

選挙権が18歳に引き上げられたのは朗報ですが、まだまだです。人数的に負けている若者世代は、投票率をあげなければ、どんどん年配者に搾取されていく社会となっていくかもしれません。

組織票も度が過ぎると歪んだ政策に?

かつて私が所属していた労働組合では、選挙活動が盛んでした。労働組合費と称して毎月給料が天引きされていましたが、そのうちかなりの資金が選挙活動へ回っていました。

選挙シーズンともなると、休暇をとって選挙事務所に張り付き、電話や個別訪問をさせられます。あくまで建てつけは自主的なボランティアですが仕事より優先。組合専従社員なんて寝る間もないほど働きます。

割り当てられた選挙事務所へ行き「議員 日本太郎の事務所のものですが」とPR。本人の顔なんてポスターでしか見たことがないのにね。

もちろん社員とその家族への選挙活動も徹底しています。

投票日直前になると、「投票をする練習」と称して、投票用紙サイズの紙が配布されます。書く内容は一応自由となっていますが、「わかっているだろうな」というわけです。

へそ曲がりな私は、その場では従順に書きつつも、本番は白紙にしていましたが・・・。

そして、投票日が終われば投票に行った証明書を提出することになります。ここまでやるから、組織が応援する議員の票を集めていくわけです。

ここまで真剣に取り組む目的は、政治家に恩を売って「自分たちに都合が悪い規制を撤廃」「自分たちに都合の良い規制を守る」など、会社や業界の利害のためです。

別に、私の職場が特別なわけではありません。選挙事務所に行けば、同じような境遇の意思なきボランティアがたくさん。ボランティアといいつつ、当選したあかつきの利益を期待しています。

政治活動を教義の一環として力を入れている宗教もあるようですが、自分たちの「権利を守るため」「利益を高めるため」に、選挙ではいろいろな団体が組織の総力を結集して活動していくわけです。

こうして、選挙結果は個人ひとりひとりの意思の集合体ではなく、ある意味で組織と組織の代理戦争の様相が強まります。

組織のしがらみのない個人が参加しなくなると、組織票の色はどんどん濃くなります。その結果、声が大きい組織によって、政策が歪められてしまう恐れがあります。「選挙に参加しないことは、右翼・左翼・宗教などのときに急進的な組織票に協力することと同義」という理解が必要かも。



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自分の選択に責任をもてるのは自分だけ

選挙を棄権する、または白票を投じることで、自分以外の誰かがよりよい選択をしてくれる、あるいは黙っていても現状が継続すると思うのは幻想にしかすぎません。

自分以外の存在、場合によっては悪意(善悪は相対的な概念で意味をなしませんが)をもった人の手に、政治を委ねてしまうことに他ならないわけです。

どこの誰とも知らぬ利害の塊の人に将来を託すより、自分の良心に従う方が何倍も良い結果に決まっています。

ぜひとも自分で投票にいって意思を表明しましょう。