「世の乱れは言葉の乱れである」山鹿素行
最近、職場では複数のプロジェクトが並走している多忙な状況。社員では手が回らず、経営コンサルタントや会計士、ITベンダーなど外部の人が入って一緒に仕事をしています。
外部の専門家が入り混じった職場のなかで、私が最近気になっているのが「言葉の乱れ」です。
お役人との取引がある会社だったので、これまでもいわゆる「霞が関用語」に毒された言葉が使われていたのですが、そこにさらにコンサルなどの外部の人がたちが使うカタカナ語・専門用語が入ってきました。
こうしていろいろなカタカナ語や略語が入り乱れて、言葉のるつぼのようになってきています。例えばこんな感じです。
中期計画でコミットしたKPIの達成はマスト。コストリダクションの一丁目一番地として、メンテ方法をCBMからTBMに切り替え、Asisのモニタリングをミニマムにしていく。
FSのドラフトを金曜アサイチでディスカッションできるよう、カガミはいらないからペライチを、ショートノーティスで悪いが作成頼む。
コンセンサスが得られたらVPまでエスカレするから、スキームだけではなくロードマップとメンバーのアサインも落としこんでほしい。
なお、ERP導入でBPRをしているバックオフィス部門は本来スコープ外だが、システムにも影響あるのでハレーションおこさないよう頭だしを。ただデマケについては一旦ペンディングで。
もはや日常生活で使う言葉とは、かなりかけ離れてしまっています。
この手のカタカナ言葉は、マウンティング要素もあって、意味わからないという反応をすると「そんな言葉も知らないの?」と露骨に嫌な顔をする人も多いんですよね。
会議などで言葉の意味を質問すると、それで議論が中断することになるから、なかなか質問できない。かくして、みんな意味がよく分からない雰囲気のままカタカナ語を当然のように受容していくわけです。
知らないのが恥ずかしい。まるで童話の「はだかの王様」のような感じですね。
「オンスケでいけるかフィージビリティを確認しておいてほしい。」
「フィージビリティですね。承知しました(よくわからないけど、ま、いいか)。」
言葉はキャッチボール。言葉を受け取った人は、意味も分からないまま、そのうち他の人に対しても使っていく。こうして意味不明なカタカナ言葉が、ゾンビに噛まれてゾンビになるように、職場を伝染していくわけです。
さて、私は、そんなカタカナ語をわざわざたくさん使って悦に入る連中は大嫌い。
もちろん、専門分野では一般語に適当な言葉がなくカタカナ語や専門用語の方がコミュニケーションに有効な場面も多いです。私自信カタカナ語を普通に使いますし、別にカタカナ語自体を毛嫌いしているわけではなく、理解されずに使われて蔓延していくのが嫌いなわけです。
お互いに意味の共通化ができている場合ならいいですが、意味も知らずに使うカタカナ語が飛び交う議論では、フワフワしたキャッチボールばかりの話ばかりで、えてして前に進まないんですよね。
日常会話でのあいまいなコミュニケーションは大事だと思いますが、何かを決定する際に焦点が曖昧な言葉を使っていると、誤解や判断ミスにつながる場合があると私は思います。
なので、マウンティングされるのは承知で、あえて「わたしの勉強不足で申し訳ないですが、その言葉の意味を教えていただけないでしょうか?」と聞くようにしています。
そのときの反応をみることで、中身のないインチキコンサルタントかどうかや、そんな連中に影響を受けて賢いつもりのカタカナ語かぶれなのか、ある程度わかるわけです。
切れてごまかす。
「きみ、そんなこともしらないのかね!常識だぞ。」
「そんな基本的なことは勉強してからきたまえ!忙しいんだ。」
信じるものは救われる?
「クライアント様が言葉の意味などを知る必要はございません。」
「あえて一言でいえば、これがあれば御社が飛躍できる魔法みたいなものです。わたくしどもを信じてついてきていただければ心配ありません。」
結局同じ言葉を繰り返すだけ。
「アセットマネジメントの意味?」
「それはだな……。企業が保有する資産をだな、適時適切にマネージメントしていくことだぞ。よくわかるだろ?」
違うカタカナ語でごまかす。
「これはだな。システムによってマネジメントをドラスティックに変えるグローバルスタンダードなアプローチなんだ。」
違う話題にもっていく。
「これについては、実現するシステムを知っていただければ自然と理解できるかと思いますので、弊社からの提案についてご説明いたします。」