障害者に興味をもった子供にどう声をかけたらいいのだろうか?
すこし前に、子供と電車に乗っていると、義足をつけた人が乗ってきました。
うちの子は、はじめて義足の人を見て驚いたようで、指さして「あの人、パラリンピックの人だよね。面白いね。」
「どんな理由でも、人のことを指さしてはダメだよ。」と叱った後に、私は知り合いのパラリンピックに出場した、職場の先輩の話をしました。
パラリンピックはオリンピックのように、誰でも出場できるわけではなく、日本全国のなかで上手な選手だけが選ばれること。
その先輩は、事故で片足をなくし、車いす生活から義足で歩けるようになるまで一生懸命トレーニングを続けたこと。
さらに、彼がパラリンピックの出場にあたっては、みんなが寝ている朝4時から練習をしていたこと。
結局のところ、話題をちょっとすり替えて、その場を乗り切ったわけですが、ピュアに「面白い」という反応をする子供に、どう接していったらいいのだろうか。と、個人的にはモヤモヤしてしまいました。
先日、そんなモヤモヤを解消してくれる、いい絵本に出会いました。ヨシタケシンスケさんの「みえるとか、みえないとか」です。
視覚障害というシリアスなテーマもヨシタケシンスケさんの手にかかると子供目線の話に早変わり。
この絵本は視覚障害がテーマ。障害といえばなんだか重たそうなイメージですが、そこはヨシタケシンスケさん。まったくシリアスな本ではなく、お得意の子供目線で描かれたホンワカした絵本です。
主人公は宇宙飛行士、いろいろな星をまわって調査をしています。
あるとき到着した星の住人は、なんと前だけではなく後ろ側にも目がある宇宙人。後ろに目がない主人公に、みんな驚きます。
「後ろが見えないなんて、かわいそう」「背中の話はしないであげよう」「みえないから、みんな歩くときよけてあげて」と、宇宙人たちが声をかけます。
後ろ側が見えることが普通の宇宙人たちからすると、後ろが目が見えない状態で生活するなんて、不便きわまりないようです。なんだか変な感じ。
私たちの「ふつう」も、違う世界にいけば、普通ではなくなる。いろいろな星を回って、違いとはなにかを主人公が学んでいくというストーリーです。
- 作者: ヨシタケシンスケ,伊藤亜紗
- 出版社/メーカー: アリス館
- 発売日: 2018/07/12
- メディア: 単行本
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私たちが「普通」と呼んでいるものは、あくまで大多数にとっての普通。聴覚障害者をはじめ、少数派からみた「普通」は全く違う。
たまたま「目が見える人を中心に社会ができている」ため、目の見えない人は不便というわけです。
視力が良いコウモリが意味がないように、目の見えない人が大多数の世界があったら、目が見えていても全く役に立たないのかも。いうなれば「耳を自在に動かすことができる」程度の特殊能力になってしまうのかもしれません。
同じ空間にいても、実はその人によって見ている世界に「違い」があるということを教えてくれる本です。
いかに自分が障害を「違い」ととらえずに、自分を基準とした「欠如」ととらえる視点に偏っていたかということを考えさせられました。
絵本に登場する目が見えない宇宙人の「メモ」、なかなか面白いです。
元になった本「目が見えない人は世界をどう見ているのか」
「みえるとかみえないとか」を読んで感銘を受けた私は、この絵本の元になった伊藤亜紗さんの「目が見えない人は世界をどう見ているのか」も購入して読んでみました。
新書なのでもちろん大人向けですが、こちらもとても興味深い本。視覚障害をテーマに、研究者の知的探究の観点から「視覚障害者が見ている世界」を解説した本です。
- 作者: 伊藤亜紗
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2015/04/16
- メディア: 新書
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私には視覚障害者の知り合いがいないこともあって、そもそも知識が少ないこともありましたが、勝手な先入観が崩されてしまうような話ばかり。
- 見えない人の方が、三次元的なイメージをもてる
- 全盲の人でも好きな色がある。
- 目が見えない人の部屋はきちんと整理されている
- 視覚障害者で話し上手や話し好きな人が意外に多い。
- 「太陽の塔」の顔の数、目が見える人は見えるから間違える。
特に目からうろこだったのが、視覚障害者の方が三次元なイメージをもっているという話。
私たちが「家から目的地までのルート」といえば、まず地図を思い浮かべます。さらに、その途中にある、店舗などランドマークなどのスナップショット。
視覚は一見三次元のように見えて、目で見える世界をベースにした二次元。健常者は視覚が感覚の中で支配的な位置づけであるため、三次元の現実世界が、地図や写真のような二次元のイメージに展開されます。
一方で、視覚障害者の方は感覚を支配する視覚がないため、他の五感が活躍します。
足の裏で感じていく地面の変動。勾配がじょじょにきつくなってくる坂道をアナログに感じ、より三次元的に世界をとらえることができるようです。ランドマークも見える見えないではなく、次第に強まって通り過ぎると弱まる音や匂い。
目が見える人がとらえることができない世界を感じとることができるわけです。
私は「目の見えない人の夢ってきっと退屈だろうな」と思っていましたが、それは全くの誤解でした。逆に、目に見える人は、目が見えるゆえ「視覚に束縛された夢しか見れない」ということになります。
「回転寿司はロシアンルーレットだ」というような視覚障害者の方が、障害自体をユーモアのネタにしてしまう発想にも驚きました。
ハゲやデブ、不細工など、自らの身体的な特徴をネタにする、いわゆる自虐ネタはお笑いの世界ではポピュラーです。
身体的特徴をネタにするのが嫌いな人でも、恐妻家、上司に怒られた話、自分の失敗談などを話のネタにしたことはあるでしょう。自分の欠点や不都合を笑いに変えるのは、ユーモアの手法のひとつです。
だけど、障害をネタにするといえば、どうしても不謹慎という気持ちが芽生えてしまいます。これがすなわち、心にあるバリアそのものなんでしょうね。
社会が健常者を中心に作られている以上、いろいろな場面で不便を強いられる障害者への配慮は不可欠です。しかし、必要以上の配慮は不要。
伊藤さんも述べていますが、「障害者」の害の字をひらがなでかいてみたり、「障碍者」と書いてみたり、いわば言葉狩りによる「配慮」は、もしかしたら無用な配慮なのかもしれません。
「障害者が何かにチャレンジする」というコンセプトで繰り広げられる24時間テレビ。私はかねてより違和感を感じていましたが、違和感の原因は「障害者は不自由でかわいそう」という概念にあるのかもしれません。
そこには感動を呼ぶドラマはあっても、障害を笑い飛ばすユーモアは存在しないわけです。
「面白がること」からお互いを知ろう。
さて、「みえるとかみえないとか」に戻りますが、この絵本には「みえるとかみえないとか ができるまで」という製作裏話が書かれたリーフレットがついています。これがまた興味深い内容でした。
障害者をテーマをしたいけれど「かわいそう」にみえてしまってはダメ。だから「ふつう」がすでにない宇宙にいこう、というような、難しいテーマを切り込んで伝えるための工夫などが伊藤さんとの対談形式でかかれています。
「りんごかもしれない」で初めて知ってから、わが家では定番となっているヨシタケシンスケさんの本。子供目線のすばらしい感性と表現力にいつも舌を巻いていましたが、その裏側には、しっかりした考えと試行錯誤があったわけです。ますますヨシタケさんがすきになりました。
- 作者: ヨシタケシンスケ
- 出版社/メーカー: ブロンズ新社
- 発売日: 2013/04/17
- メディア: ハードカバー
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絵本の最後は、「同じところを探しながら、違うところをおたがいに面白がればいいんだ」と締めくくられます。
お互いの世界があり、分からないとどうしても距離を置いてしまう。でも、そこを乗り越えて理解をしようとすれば、面白い世界が広がってくる。
「面白がる」という発想は不謹慎と感じる人もいるかもしれませんが、この対極にあるのが「見ちゃダメ」という過剰な配慮とコミュニケーション拒否だと思います。
この本を読んだうちの子の感想は、「仲間はずれなんていないんだ」。何か伝わるものがあったかな?
議論を呼ぶテーマを子供目線の素朴な疑問に変化させ、ユーモアたっぷりに味付け。絵本を彩る宇宙人たちもいい味だしています。書店でみかけたらぜひ手にとってみてください。
さて、次回のボードゲームは視覚より触覚が大事。タイルを触って部屋をつくっていく、幼児向けゲーム「モンスター出ていけ!Go away monster!」です。