2023年の最初の記事は何にしようと思いながらあっという間に新年からずいぶんすぎてしまいました。いまさらですが初夢の話をしたいと思います。
今年の初夢は、ここ10年以上同じ職場の私が突然転勤の辞令を命じられることから始まります。
新たに配属されたところはなぜか福祉施設のような場所(私は別に福祉関係の仕事をしているわけではありません)でした。
これまでずっとデスクワーク中心の仕事だったので、なにから何までが初めての仕事。新たな環境で奮闘することになります。
そこで、そこに入所していた幼馴染の「よっちゃん」と、何十年かぶりに再会するという夢でした。
よっちゃんは、私が小さい頃に近所に住んでいた友達の男の子。といっても年齢は私よりも5つくらい上でした。
小さい頃に病気で高熱を出し、脳にダメージを受けて3歳くらいで知能がとまっていました。
家が比較的近所ということと、裕福でないわが家と比べておもちゃがいっぱいあったこともあって、よっちゃんの家に私はよく行き年齢の差はありながら一緒に遊んでいました。
しかしながら、そんな日々は長くは続きませんでした。
年齢なりに成長して他の友達もできていく私に対し、体だけ大人サイズにグングン近づいていき知能は変わらないよっちゃん。私たちのギャップはだんだん大きくなってきます。
私に同級生の友達が増えるにつれ、よっちゃんと遊ぶ機会はだんだん少なくなり、小学生になる頃にはよっちゃんと遊ぶこともなくなってしまいました。
最後によっちゃんと会ったのは、私の中学校入学式の日。真新しい制服を着て玄関で写真を撮っていたところ、通りがかったよっちゃん親子に声をかけられました。
「入学おめでとう。クミオちゃんも大きくなったね」とよっちゃんのお母さんにお祝いの言葉をかけられました。ただちょっと悲しそうな様子に「なんだか申し訳ないな」と思った記憶があります。
それから生まれ故郷を遠く離れて生活しているので、よっちゃんのことは私の記憶の彼方に追いやられていました。何十年後に突然夢で登場するとは何とも不思議です。
こんな夢を見たのは、年末くらいからネットで話題となっているNPOの不正な会計問題があったせいかも。
NPOから端を発して、フェミニストとアンチフェミニスト、オタク文化の否定と容認、左翼と保守のようなイデオロギーの対決色も強くなっているので、最近はちょっと近寄りがたいところがあります。ただ大手マスコミが報道を話題をスルーして沈黙を決め込んでいるところを見るにそれなりに闇はありそうです。
一連の騒動に対しては、個人的には思想や信条は個人の自由、それよりも守られるべき被支援者の顔があまり見えてこないところが気になっていました。
弱者を救う施策を全否定することは適切でないといえる一方で、過去の同和問題などでも「人権はカネになる」と悪質団体がのさばっていたケースが多いもの。行政が単に丸投げするのではなく、支援が必要な人に適切な支援が行き渡っているか、お金の使い道が適切かを検証して健全性を保つ仕組みが必要だと思います。
夢のなかでの私は、守られる子供から庇護欲のわかないおじさんになったよっちゃんに対し、心ない言葉や仕打ちをする周囲の人たちから彼を守るために奮闘していました。
よっちゃんから離れてしまったことや、子供をもつようになり挙動不審な人に対しては(助けを必要としていたのかもしれませんが)できるだけ子供を近づけないようにしている日々の自分の行動への罪悪感があらわれていたのかもしれません。
現実の私は何ひとつ幼なじみのよっちゃんの助けにはなれていません。
今頃、本当のよっちゃんはどうしているかな。
よっちゃんのご家庭も今はいわゆる「労障介護」とよばれる年齢に間違いなく差しかかっていて、きっと社会システムでの支援が不可欠ではないかと思います。不安がうずまく今の世の中では心配ですが、適切な支援を受けられ幸せな生活をおくれていることを願っています。