感染拡大防止のための学校の臨時休校。イベントは中止になり、店舗からは客足が遠のき、ドラッグストアの陳列棚から商品がなくなる。新型コロナウイルスの対応で日本中がてんやわんやですね。私もご多分にもれず、会社で通常業務そっちのけで感染対策に追われています。
これから感染がさらに拡大するのか収束するか。目途がつくか長期戦になるのか全く想定できないなかでの対策。どこまでやるか判断が難しいところです。
全く普段通りで良いと思っているのから、「ゴーグルと手袋で仕事をすべき」の過激派まで。家庭と違い多様な人材が入り混じった組織での対策は、ルールを決めないとカオスな状況となってしまいます。
この不透明な状況を考えると、個人的には多少の痛みは伴っても実現可能なレベルでできるだけの対策を打ち、後で「ちょっとやり過ぎだったな」と笑い話にするくらいがよいと思っています。
何かを変えようとすると出現する変革意識の低い抵抗勢力。
さて、職場でいろいろな手を打とうとするときに困るのが「対応に文句や不満ばかり言って何もしない人たち」。
例えば「時差出勤」「在宅勤務」といった簡単にできそうなことでも、あの手この手の理由をつけて抵抗。それが会社で地位がある偉い人だったりするからタチが悪いんですよね…。
先日も在宅勤務のため電話・テレビ会議の活用のために機材購入を進言していたのですが、説得の調整をしているうちに在庫切れ(個人的には購入でき良い製品でしたのでいずれ紹介します)。
社内での調整に日々消耗しながら、「これって業務改革で抵抗勢力になる人と全く同じだなぁ」と改めて感じました。みなさんの職場にもこんな方はいませんか?
普段は理解あることを言っている人が身勝手になっていたり、逆にいつもは存在感ない人が逆にキビキビと行動していたり、有事だからか人の意外な面を見ることができます。
事前に聞いてないから認められない。
「そんな話、突然言われても困る。前々から準備して事前に下調整できないのか?」
突然の事態だから突然の対応をしているんだけど・・・。こんな人がいるから事前の根回しや承認のためのスタンプラリーが常識となって、意思決定が遅れるんですよね。
自分はやらなくとも他の人がやればよい。
「うちがやらなくとも、他のみんながやれば結果は同じだろう?」
例えば通勤時間のシフトなら、自分以外のみんながシフトすれば、結果して自分がシフトするのと同じという理屈。
シフトといっても子供の送迎などでどうしてもシフトできない人もいます。勝手に守らない人がでるとルールを作っても崩壊してしまいます。
感染するかしないかゼロイチで判断。
「どれだけ対策したって、感染するときは感染するんだから一緒だろ?だったらやっても無駄じゃないか。」
感染の確率を下げるための対策なのですが、感染するかしないかゼロイチに単純化してしか判断できない人にはなかなか理解してもらえません。
「タバコを吸わなくったてガンになるときはなるんだ」と豪語していたヘビースモーカーの私の父が、肺がんになったことを思いだしました。
具体的な根拠を示せ。
「対策をすることで、どれだけ感染確率が変わるのか。効果を具体的な数値で説明してくれ。」
何か変えようとすると「効果を数字で説明しろ」「根拠を示して立証しろ」という人って多いですよね。
仕事を変えようとする人が立証責任を負わないといけないのは悪しき文化。逆に「今まで通りで変えなくてよいことを数字で立証しろ」と言いたいところです。
レベル感に文句。
「そこまではやりすぎだ。こっちにも都合もあるなかでもうちょっとソフトなやり方もあるのではないか。」「こんな対策では生ぬるいのではないか。」
「どこまでやるか」というレベル感の話は合理的には決められず、最終的に判断するしかない場合も多いです。
いったん決めてからは腹をくくって進むしかないなかで、実行段階でレベル感に後からケチをつける人は、決める段階で積極的に参加してほしいものです。
自分だけ特別
「俺は大事な仕事をやっているんだ。優先度が低い他のやつから先に対策をしてくれ」
あなたの仕事が一番大事なんて、誰が決めたのでしょうか。大抵は「俺がいないと会社が回らない」という思い込み。いわゆる自己中というやつですね。
また、「自分だけは罹患しない」という謎の自信で耳を貸さない人も困りもの。「運転がうまい」と自認して事故を起こす人と同じで、会社での地位から自分が(ウイルスに対しても)全能だと錯覚してしまうのかもしれません。
過去の事例がないと動かない
「過去にも似た事例があるはずだ。まずそれを調べてから評価してくれ。」
過去の類似事例を参照することは有用ですが、引っ張り出すのにそれなりに時間とエネルギーがかかります。「たぶんあったかもしれない」「20年前くらいに」など、参考になるものが存在するかどうかも分からないものを探せという人もいるんですよね。
過去の事例だけでは参考にならないし、調べているうちに時間切れも。そもそも過去にない事象が起きたときには対処できなくなってしまいます。
とにかく見かけだけ整えればよい。
「こういうのは何より『やった感』が大事なんだ。ポーズだけ示しておこうよ」
何もやらずにやったフリだけする人。この手の人は、「見せ方」だけは上手かったり、自分ができていないことを他人のせいにする傾向にあるので要注意です。
とりあえず先送り。
「この状況で今日明日で状況が急転することはないだろう。しばらく様子をみてから慎重に判断しよう」
言い訳をしてとりあえず時間稼ぎをする人は、えてして時間がたっても動かない人が多いです。
悪者がいるのだから被害者は対応する必要がない。
「ウイルスを持ち込んだ中国が悪い。まったく問題を起こしていない俺たちがなぜ対応しないといけないのか」
今回の不幸な事態に対し「ウイルスを持ち込んだ中国が悪い」「政府の対応が悪い」「感染してばらまいたやつが悪い」など、心情的には悪者を作りたいところです。ただ悪者探しをしていても前には進めません。考えるべきは、起きた事態に対して自分たちに何ができるかです。
新型コロナウイルス対策を業務改革のチャンスに。
改めて振り返ってみると、反対意見つぶしにいかにエネルギーを使っているのか…。最小限の仕事に減らしたいという状況にもかかわらず、ムダな仕事をしているなと思います。
人は窮地に陥るほど本性がでるといいます。苦しい時にとる行動がその人の人間性を映す鏡となり「この人はこの程度の人だったのだ」と見定める良い機会かもしれません。
批判や意見、議論をすることは正しい判断をするために必要なプロセスですが、「さらなるアクションにつながるのか」「建設的なアイデアはあるか」「改善策、代替策はあるのか」など、その次につながるかどうかが大事でふす。
かくいう私自身も、単に批判や意見に言動が終始してしまうことがあります。他山の石として「『反対のための反対』となっていないか」を自問自答しながら行動したいなと思います。
いずれにせよ、新型コロナウイルス対応は未曾有の危機を大義名分に、変革意識の低い人を説得して、働き方を変えたり無駄な仕事をやめたりの改革を実現できる絶好の機会。
「ピンチをチャンスに」とはいえ現実は「ピンチはピンチ」でしかありません。ただ、転んでもタダでは起きない精神で、この苦難を乗り越えたときに一歩でも二歩でも変革できたことを残したいなと思います。